お題スロットをやってみた、文章力なさ過ぎてびっくりする。
こんにちは、道頓堀うめこです。
G.Wはいかがでしたか?
毎年思いますが、あっという間だった気がします( ;∀;)
しかも、暑かった。
実家の近くに昔ながらのかき氷屋さんがありまして、4日間通いました。笑
イチゴミルクが150円なんです。安い‼もうこんな季節なんですねー
(場所を教えてしまうと実家もバレてしまうので言えないですが)
昨日はG,W最後なので、子供達を連れて近所の公園にピクニックに行きました。
朝早く起きて行くはずが、起きたら11時‼‼‼
やっちまったΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
ダッシュでお弁当作って行ってきましたが、暖かくなって虫が多すぎで泣きそうでした。
本当に虫だけは勘弁してほしい、苦手なんですよ。
マンションの外階段にも毛虫がウヨウヨしてるし、毎回悩まされます。
お題スロットやってみました。
おばあちゃんの思い出ということで、書いていきます。
うちのばぁちゃんは、下町生まれの頑固者。
「まっすぐ」を「まっつぐ」って言ってた記憶がある。
もう4年前に亡くなってるけど、今でも大好きなばぁちゃん
ばぁちゃんって言っても実際は大叔母さんなんだけど、おばあちゃんは生まれるずっと昔に亡くなっていて大叔母さんがおばあちゃん代わりだったんです。
私が生まれた時からずっと優しくて、面白い人だった。
夏休みになると海に連れって行ってくれたり、旅行にも連れて行ってくれていました。
毎年、誕生日やクリスマスにプレゼントくれたり、毎日「声が聞きたい」って電話してきてくれたり、常に気にかけてくれていました。
私が思春期になると毎日の電話も出なくなり、お小遣いが欲しい時だけ電話して
ばぁちゃんは「そういう時だけ電話よこしてー」って呆れていましたが、どこか嬉しそうでした。
今思うと罪悪感でいっぱいです。
働き者のばぁちゃんは体を壊してしまって、そこから6年ぐらい人工透析を受けてたんだけど、透析の帰りに気分が悪くなり階段から落ちて入院。
知らされたのも1ヵ月たってからで、ばぁちゃんの知人からの連絡でした。
お見舞いに行ったら黒かった髪は真っ白になっていて、ふっくらしていた顔はゲッソリしていて、本当にこれがばぁちゃんなの?って思いました。
私たちの顔を見るなり、笑顔で「よく来たねー大したことないから来なくてもよかったのに」って。
大変なのは、ばぁちゃんなのにいつもと変わらない笑顔で出迎えてくれたことに思わず泣いてしまいました。
しかも入院する3か月前に私1人で泊まりに行ってるんです。
その頃は社会人で仕事に嫌気がさし、ばぁちゃんに会いたくなってふらっと泊まりに行ったのを覚えています。
その時に普段、自分の事をあまり話さないばぁちゃんが自分の話をしてくれた事に驚きました。
- お見合い結婚で、式の当日に逃げ出したこと。(親が結婚を勝手に決めたって言ってた。)
- 60年間、片思いしている人がいること。
- 片思いしてる人の愛人をしてること。
いろいろ話してくれたけど、衝撃すぎた。
- 最初は両想いだったけどお互いの親が厳しくて結婚は許されなかった。
- 相手の男の人は、ばぁちゃんと別れて親の決めた人と結婚した。
- ばぁちゃんはその日からずっとその人に片想い。
私が小さい頃からずっと部屋に男の人の写真が飾ってあったのが、その人だったらしく大事にしてたんです。
ばぁちゃんは写真を見ながら「かっこいいでしょ?」なんて言ってました。
でも60年も一途でいた事、すごいと思います。
きっとばぁちゃんの中ではその人しかいなかったんですね。
結局、結婚もせず一人でずっと生きてきたばぁちゃんを尊敬します。
かっこいいのは、ばぁちゃんです
なんで愛人になったのかは知りませんが、よく北海道旅行に行っていました。
たくさんのツーショット写真を見せてくれて、それも大切そうに持っていました。写真の中のばぁちゃんは少し照れていて幸せそう。
ばぁちゃん北海道が大好きで、私と行くのが夢だったみたいです。
北海道に行っても、必ず公衆電話から毎日電話くれました。
正直、母親よりばぁちゃんに愛されていたと思います。うちも複雑な家計で母親がバツ3だったこともあり、心配していたんでしょうね。
それから何度もお見舞いに行ったんですが退院できず、どんどん弱っていきました。
ある日、ばぁちゃんが私の名前を呼ばなくなったんです。顔もわからなくなってしまって、私を見るなり母親の名前を呼ぶんです。
笑ながら「私、うめこだよ~」なんて言いますが、「そうだった、そうだった」って言うだけ。
認知症でした
正直、悔しかったです。
何で私だけ?病室を出て大泣きしました。
そこには私の知ってるばぁちゃんはいなかったんです。
1年くらいたち脳梗塞の発作が出てきてしまったみたいで、何度も心肺停止になりました。
私は結婚して子供が生まれていて2歳になった、子供を見せに行きました。
ばぁちゃんは「可愛いねー、この子誰の子?」って何度も何度も。
一度、「うめこに似てるねー」って言ってくれたのに、それからは名前を呼んでくれることはなかったです。
その年の5月、ばぁちゃんは亡くなりました。
「北海道にいこうね。」「うめこの花嫁姿見たいわ」なんて言っていたのに、何もしてあげられなかった。
ばぁちゃんの告別式の日がちょうど私の誕生日と同じ日。
何か運命的なものを感じました。
私に何か伝えたかったのかな?
告別式の後、母親の兄家族の嫁が親戚や従妹たちとばぁちゃんの話をしていたんですが
その嫁が「本当にいい方で、優しかったわ」など、いかにもばぁちゃんと仲が良かったのよーみたいに話をしていたんですが、
ばぁちゃん、あんたの事大っ嫌いだから!あんたの所に電話した時だって、迷惑だから掛けてこないでって言ったのあんたでしょ!
愛人って気持ち悪いって言ったでしょ?
どんな思いでばぁちゃんが過ごしてきたかあんたにはわかるの?
それから音信不通だったのに今さら何なの?って思い、
私は勝手に式場を後にしました。
もうその家族とは会っていません。
ばぁちゃんの事そんな風に聞きたくないから。
火葬する前に胸元に好きな人とのツーショット写真を入れてあげました。
かっこよくて、強いばぁちゃん。私にとって一番尊敬する人です。
おわり
って事でばぁちゃんの思い出です。
思い出だけじゃなく尊敬できる人でもありますね。
とにかく生き方がかっこいい!
地元のヤンキーとかにも平気で注意しちゃう人だし、正義感強い人でした。
(見てるこっちがヒヤヒヤする)
文章力なくてすいません‼‼
伝わりにくくてすいません
お付き合い頂きありがとうございます。
道頓堀うめこ